お吉物語の舞台・玉泉寺  



「お吉物語」その虚構と真実
初代アメリカ総領事館には、
お吉やお福を含め5人の女性が召使女として勤めました。
なかでも「お吉」は安政4年5月22日17才でハリスの召使として出仕しました。
しかし、「お吉」の玉泉寺通いはあまり長いものではなく、同年8月に解雇手当が支給された受取書が残されています。実質、3日で解雇されているのです。
「物語」ではお吉の生涯はこの玉泉寺通いが原因となって、人々のお吉に対する蔑視と嘲笑に耐え切れず、酒に溺れ、世間から孤立し、貧困のなか身を持ち崩し、50才でその生涯を閉じたストーリーとなっている。
確かにこの「物語」は良く出来ていて、結末が哀れであり、涙をさそうものであるが、この「物語」のややこしいところは、フィクションと史実が混在している点であろう。
物語では「お吉」を追い詰めていったのは、当時の下田の町人達であり、良くこの物語を考えれば「いじめ」のはなしであって、下田市民としては恥ずかしい話である。 
このことを現在、誰一人として疑問に思う人達がいないことの方がむしろ悲しい現実である。
半分は史実であるが、半分は完全に潤色された物語、フィクション、作り話であって、こんな胡散臭い話が昭和初年、新聞小説、歌謡曲、お芝居等で当時の日本人の反米意識に深く焼きついた。
 その後、観光に利用され、手を替え、品を替え現在に至り、心ない人々によって商売に利用され、あること無いこと仕立て上げ、虚像を潤色し、偶像にまで崇めてしまいました。過去、繰り返し繰り返し、色あせた頃を見計らい、何らかの「お吉物語」が出版される事実は人為的なお話の証明でありましょう。
日本人の多くが「真実」と思いこんでいるが、講釈師の頭で歴史を改ざんし、ハリスの人格やその功績がこの物語によって歪められていることのほうが大きな問題である。
もし物語の通りであれば、「お吉」以外の4人の女性も同じような人生を歩むことになるのだが、そんなことはまったくなかったのである。
 また最近、19歳のお吉の写真が出回っているのだが、この時代、写真の撮影技術は日本では確立されておらず、この時代庶民が写真に写ることもあり得ないのです。なんとも不思議な話なのであります。
 史実に明らかなことは、「お吉」や「お福」が玉泉寺に通ったという事実と、
ハリスが外交官として、その使命に燃え、世界中が注目をする中、命をかけてこの日本を「東洋の孤児」から開国に導いた事実であろう。



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